他人にレッテルを貼り、キャラに仕立て上げて、のし上がる人たちの話

●ブログを運営するためのアドバイスを頂いたブログ

ブログを始めるにあたり、このブログをどんなコンセプトで運営していこうか悩みました。
とにかく何が何でもPVを上げてアフィリエイトで稼ぐのか。
それとも稼ぐことは一切考えずに自分の好きなことだけ書いていこうか。
みなさんのブログを漁って勉強しておりましたところ、はてぶで興味深い記事を見つけました。

自由を削ってブログを書くか、自由になるためにブログを書くか - シロクマの屑籠

シロクマの屑籠という方のブログです。

この方は明確なポリシーを持ってブログを運営してらっしゃいます。

私にとってのブログとは――いや、twitterやウェブサイトも含めたネットメディアは――、自分のキャラをつくる場所ではなく、自分が自由に、呼吸するように自己表現できる場所でなければならない。

書きたいことが書けないブログなんてやりたくねぇ!!


金を稼ぐために無理やり誰かを演じてブログを書くのではなく、自分が書きたいという思いを大事にされています。
ブログ初心者の僕にはとても納得できるエントリーでした。


●キャラの強制をしてくる人々

しかし僕は、ブログについての言及以外にこの著者に強く共鳴したところがあります。
それは、『キャラ』についての言及です。
キャラというレッテルについては、僕は常々考えたりしています。そしてキャラというものには悪い要素の方が多いと感じています。
なので僕と同じ考えを持っている人がいるんだ!とうれしく思いました。
例えばこれらの部分で著者はストレートに意見を表明しています。

「お前はこういうキャラなんだからこういう風に振舞え・振舞えないなら俺が許さない」的な、キャラ優位な人間観が嫌い

人を見ずに白衣を見る人間・“なかのひと”を知ろうともせずキャラを勝手に決めてかかるような人間が、私は苦手だ。

メディアがつくりだしたキャラが一人歩きして“なかのひと”の精神性が疎外されたり、身振りの幅が疎外されたりする事態も嫌いぬいている。

シロクマさんはキャラというレッテル貼りをとても嫌っておられますね。
言いたいのはこんなことではないかと思います。

  • 本来、人間という存在は、ひとりひとり人格も肉体も無限とも言えるような多様性を持っている。
  • しかしある種の人は、様々な理由で他人にレッテルを貼る。
  • レッテルは、その人のごく一部分だけを表している。
  • そのレッテルを押し付けて、それ以外の面を見せることを許さない。
  • レッテルを押し付けられた人は、本来色んな考えを持っていたり、気分が変化したりするが、レッテルの部分だけを出すように強制され、レッテルの部分ではない多くの感情などを抑圧せざるを得ない。


●キャラ化戦争の様相を呈するお笑い界

このレッテル貼り、『キャラ化』は世の中の至るところでみられると思います。
例えばテレビの世界、とりわけお笑い界ではこの『キャラ化』が必要不可欠の要素になっていると思います。
お笑い芸人が集まると、ほとんど必ず「いじる・いじられる」という関係が生じます。
いじる芸人は、最もいじり甲斐のある(弱点を持っている)ターゲットを決めて、弱点を強調してキャラ化します。
そして徹底的にそこに突っ込みます。
その場でターゲットが決まると、周りの芸人達も空気を読んでターゲットにつっこみます
テレビ番組としたら、出演者の関係性がわかりやすいほうがいいですからね。
キャラ化が得意な芸能人は、例えば島田伸介・ダウンタウンロンブー淳・くりぃむしちゅう上田・あたりですね。
そしてその場には必ず強者と弱者が生まれます。
明確に権力のヒエラルキーができます。

一方視聴者側はどうかというと、ほとんどの人は強者の視点で番組を見て、弱いものをなぶる快感に共感しているのでしょう。
ブサイクな芸人の顔の醜さを執拗に言及する様を見て上から目線で笑っているでしょう。
一般視聴者にとってそれは、日常のストレスから解放されて、擬似的に強者の視点で世の中を眺めることができる瞬間なのです。

しかし例外もありまして、虐げられている芸人の視点から番組を見る人々も存在します。
例えば自分と似ている要素のある芸人などが出演している場合は、その芸人に感情移入します。
そしてその芸人がいじられると、自分もいじられている気分になり、その番組に嫌悪感を抱きます。
島田伸介はとても人気がありましたがその反面、辛辣なつっこみがテレビを盛り上げるのみならず、人格を攻撃・否定しているように感じる人も多かったようです。
2chなどでは批判的な意見も多かったですね。


●武器としてのキャラ化

ではどうして芸人が集まるとヒエラルキーができるのか。
テレビとしては、その方が手っ取り早く一定の質の番組をつくれるのでしょう。
なのでテレビ局側からの要請があるのかもしれません。あるいは直接的な要請がなくても、空気を読むのがうまい芸能人たちは、局のニーズを暗黙のうちに汲み取っているのかもしれません。
しかし本当のところは、そんな大人の都合によるものよりも、もっと単純で人間の本能に根差したものから来ていると思います。
芸能人は自分が売れるために、必死でライバルを蹴落とす技術を磨きます。
自分が少しでも上に立つことを考えています。
その大きな武器となるのが、キャラ化です。
相手の弱点を見つけ、その弱点をもってその人たらしめてしまえば、キャラ化した人間は絶対的に上の立場に立てます。
場の空気がその人のキャラを認めてしまえば、レッテルを剥がすのは容易ではありません。
芸能人たちはそうやって常にライバルをキャラ化するチャンスをうかがっているのです。
さしずめ、キャラ化戦争とでも言っときましょうか。

さて、これは芸能界特有の人間関係なのでしょうか。
そうではないと思います。
会社、学校、地域の集まり、人が集まるところではどこでも起こりうる現象だと思います。
学校でのキャラ化戦争は特に問題になることが多いのではないでしょうか。
いじめの問題ですね。

本日はこれで終わりにします。ブログを書くのは初めてなもので、ものすごく時間がかかります。。

  • 次回は、
  • 学校でのキャラ化
  • ネット上でのキャラ化
  • みずからをキャラ化する現代人
  • キャラ化に頼らないで笑いを取る芸能人

あたりについて語ってみようと思います。


それにしても、他人からお前はこういう奴だって決めつけられるのは本当に腹が立ちますよね。。